社会参与と初音ミクの「ネギ」

 今回は最近の関心の範囲で、『人工地獄』に関して

 

この本。

『人工地獄―現代アートと観客の政治学

  • クレア・ビショップ=著|大森俊克=訳

  • 発売日:2016年05月24日

 

http://filmart.co.jp/books/art/composite_art/artificial-hells/

 

この本は芸術学の本ではあるが、自分は芸術学はさっぱりであり、この本が主題として扱わんとする「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」は全く聞いたこともなかった範囲であった。

そのような自分がこの本をはじめに読んでまず理解できるかといえばそのようなことは全くないのである。が、本書は以前に記した初音ミクの話やニコニコ動画の協働的な創造に関して、興味深い考えを示してくれるとも考えている。ここではその話を以下に述べていきたい。

 

まずは本書の構成から見ておきたい。

本書は序論から始まり、1章から9章、および結論の構成になっている。芸術学に詳しくない自分からすると芸術の話をしているのに図版がほとんどなく、本書を読むのに非常に苦労した側面があった。最も英語で書かれた原書版は日本語訳版に比べて図版は多く、日本語訳が出版される際に(おそらく権利関係で)削除された図版も多い。しかし、その原文に関しても図版は決して多くはない。これには著者の主張として芸術に関しての図はこの時代にはインターネットで集めることが容易なので自分で検索してみてほしいということがあるらしい。最も、日本語訳の際に図版やインスタレーションも日本語訳されてしまっては、探すのは困難なので少し困ったところがあった。

 

本書の構成に戻る。

本書は序論でソーシャリー・エンゲイジド・アートをなぜ本書で扱うのか記され、その芸術的価値に関しての理論的側面が1章で行われる。ここではビショップはソーシャリー・エンゲイジド・アートに関する議論としてはいくつか存在するとしている。

 

一つにソーシャリー・エンゲイジド・アートを批評するにおいて、その協働体の中に入ってしまっては正確な批評が行えないということ

二つにソーシャリー・エンゲイジド・アートは芸術としての「美」なるものが二の次となり、政治的なプロパガンダとして利用されるということ

そして、このような問題は存在するもののソーシャリー・エンゲイジド・アートが芸術ではないという結論は総計ではないということ

 

そしてこの問題を乗り越えるためには、協働による芸術の歴史を追うことによって社会に関与するアートの歴史を知り、その形成を把握することでソーシャリー・エンゲイジド・アートに対して適切な批評ができるということである。この流れを受けつつ、以降の章では歴史的な解説とともに本書の命題が証明されるようになっている。おおよその中核はこのようなものである。

 

この「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」は2010年代以降の芸術の新たな潮流として存在しているようであるが、この芸術の新たな潮流は日本においては2011年の東日本大震災以降に多く注目が集まったことが指摘されている。日本においては2000年代から越後妻有トリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭などが社会参与型として行われてきたと『ソーシャリー・エンゲイジド・アート入門——アートが社会に深くかかわるための10のポイント※』の特別寄稿には記されているが、実際はどうなのだろうか。

日本におけるソーシャリー・エンゲイジド・アートに対しての見解の多くが妻有の「越後」であったり、瀬戸内国際芸術祭の「瀬戸内」であったり、震災以後の芸術が「フクシマ」を扱ってきたように、いずれも広い社会と追いうよりもより狭い社会の中を対象にしてきたようには思えないだろうか。この分野に関いて明らかに不勉強ではあるが、印象として地域密着の地域再生イベントとして、ソーシャリー・エンゲイジド・アートは扱われてきたような印象がある。

しかし、歴史的にソーシャリー・エンゲイジド・アートがそのような地域に密着した「狭い社会」に参画するアートでなければならなかったとしたなら、「広い社会」に密着したアートは可能なのだろうか?

 

その答えにはウェブ2.0以降の世界にはあるのではないかと考えたい。

2000年代以降、我々のネットは自由な情報のやり取りが行われ、その中でニコニコ動画のような「協働」的創造が行われることは多くなり、それはインターネットの影響であるという意見は多いだろう。その流れは哲学者アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの生み出した「マルチチュード」の思想であり、協働的な創造という言葉は後に「クリエイティブ・コモンズ」を代表する標語として定着していく。

『人工地獄』の著者のビショップもこの事実は肯定しており、本書の中でもマルチチュードの表現は何度か現れる。

そして、ニコニコ動画をはじめとした協働の活動、その背景にもマルチチュードの力が背景となった「クリエイティブ・コモンズ」の思想が存在している。

ここから、一つの「夢」のようなものが生まれてくるだろう。

 

つまり、ソーシャリー・エンゲイジド・アートとしてニコニコ動画の協働的創造環境、より詳細には「初音ミク」のイメージの創造をこの文脈の中に入れ込む、ということができるのではないかということだ。

無論、簡単なことではないだろうし、そもそもソーシャリー・エンゲイジド・アートの範囲を明確にできていない時点で問題も多く内包され、まだ夢の範囲からは出られない。

しかし、一つの価値があるとも思っている。

 

果たしてこの理論は成功するのか。それはわからないが、今回はここまでにしておきたい。