殺人事件と社会情報

今まで少しずつ読書録をつけようとしていたけど、久々につけるのはこれ

『秋葉原事件—加藤智大の軌跡』リンクは朝日文庫版

https://www.amazon.co.jp/%E7%A7%8B%E8%91%89%E5%8E%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E5%8A%A0%E8%97%A4%E6%99%BA%E5%A4%A7%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E5%B2%B3%E5%BF%97/dp/4022617667

 

この本は無論、秋葉原事件に関しての本であって、秋葉原事件そのものがもはや9年も昔の出来事にもなっている。なぜ9年前の本を今、というと、僕には事件後の社会と9年たった社会がそれほど大きく変わっているとは到底思えないところがあり、もし本当に社会に変化がなかったのであれるなら一体この事件の教訓は何だったのかを考えなければならないのではないか、そう考えるからだ。

 

本書は秋葉原無差別殺傷事件の加害者の加藤智大が事件をどのような経緯で発生させたのか、その生涯を1冊の本にまとめたものである。無論、一人の人生、しかも事件発生の20代までの間の生きざまを一つの本にまとめているということからも、本書がどれくらい深いところまで書いているのかがうかがえる。本書の著者ははじめにこの本を読むにあたって「長い物語になるがどうか最後まで付き合ってほしい」ということを何度も繰り返していた。その真相には、彼が加害者として取りあげられるあまりにメディアが取り上げてこなかった側面が存在する、メディアがわずかな時間でしか語らないために今まで知られなかった事件の深層を正確にかつ真摯に伝えたい著者の思いが隠されているだろう。

このことは僕は1年前の「相模原障害者施設大量殺傷事件」の内容とも近いものがあるのかもしれないとも思える。

 

とはいえ、ひとまず「秋葉原連続殺傷事件」に関して解説とともに少し振り返りたい。

(以下wikipedia引用)

2008年6月8日12時30分過ぎ、東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、元自動車工場派遣社員の加藤智大(かとう ともひろ、1982年9月28日 - 、犯行当時25歳)の運転する2トントラック(いすゞ・エルフ)が西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねとばした。

このトラックは交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシーと接触して停車。周囲にいた人々は最初は交通事故だと思っていたが、トラックを運転していた加藤は車を降りた後、道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら17人を、所持していた両刃のサバイバルナイフダガーナイフ)で立て続けに殺傷した[注 1]

さらに、加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後まもなくして近くの万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が加藤を追跡し警棒で応戦、最後には拳銃の銃口を加藤に対して向け、ダガーを捨てるよう警告し、応じなければ拳銃を発砲することを通告した。それに応じナイフを捨てた加藤を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえ、旧サトームセン本店(現・クラブセガ秋葉原新館)脇の路地で現行犯逮捕にて身柄を拘束した[7][8]。これらはおよそ5 - 10分間ほどの間の出来事だった。

事件当日は日曜日で、中央通りは歩行者天国の区域となっていた。この日も多くの買い物客や観光客でごった返しているなかの凶行であり、事件直後に多くの人々が逃げ惑い、また、負傷者が横たわる周囲が血の海になるなど事件現場はさながら戦場の様相を呈しており、まさに白昼の惨劇であった。加藤はナイフは他にも5本所持していたことが明らかになった。

警視庁は6月10日、加藤を東京地検に送検、同地検は7月7日、加藤の精神鑑定のため、東京地裁鑑定留置を請求し認められた[注 2]。留置期限の10月6日までに、「刑事責任能力がある」という結論が出されている[9]。(引用終わり)

 

事件の顛末は以上である。ここではあくまでも表面上のことしか書けず、またここで加藤智大の生涯を自分の手で要約するのはおそらく本書を出した著者の「最後まで付き合っていただきたい」というポリシーに反することにもなりかねないので多くは書かない。

 

だが、僕が重要に思っているのが「インターネット掲示板」の持っていた役目である。

彼は自分の家族の影響もあり、精神分析における基本的愛着関係が形成できていなかったと考えられる。ゆえに彼は職場などを簡単に離れ、人間関係を「いつでも取って代わることができるもの=代替が可能なもの」というように思っていたのだろう。本書の中にも登場するが、彼は代替が効く人間関係に対比して、インターネット掲示板の中での「クロの子」名義での書き込みが掲示板の中で人気になったために掲示板の中で自分の居場所を見つけることができた、すなわちインターネットの中で「代替不可能な自分」の存在を見つけた。しかし、次第にその中でも自分の居場所を失った彼は、自分という存在の主張のために事件を生じさせる。

 

しかし、加藤がインターネット掲示板の存在を知らなかったら、あるいはインターネット掲示板というものが存在していなかったら、どのように変わったいってのだろうか?無論、事件の直接的原因がインターネットにあるようには思えない。むしろ僕にはインターネットは加藤にとっての救いだったのではないかとも思えるのだ。しかし、救いでもあったのと同時に、インターネットの生成する「何か」に彼は次第に取りつかれてしまったようにも思えるだろう。以前の読書録にも書いたかもしれないがインターネットの掲示板の世界はあくまで「仮想現実」の世界であり、「現実」の世界では全くないものである。本書の中では「ネタ」や「本音」を使い分け、ネット掲示板の中であくまでも「ネタ」として書き込んだものを「本音」と見てレスを送る他者は「空気が読めない」という判断がネットの世界では下されるということが言われているのだが、しかしこの「ネタ」と「本音」の判断のつけ方はインターネットの社会と現実社会との間ではいくらかずれが生じているように思える。ネット掲示板の向こうにいる人間は顔を合わせたことのない「他者」であり、何も知らない人間同士の中でどこまでが「ネタ」として通じるのだろうか。そこには現実社会の示しているような厳格なものではない、少数で形成されていたネット掲示板ならではの特徴が存在しているのかもしれない。そこでは一般社会という広くかつ漠然としているゆえに明確なルールが設定されない社会とは異なる独自のルールが存在しているように思える。

 

しかし、少数で形成されているこのルールが実社会の中でも適応されるとは限らない。それに関して基礎情報学の提唱者である西垣通氏の『ネット社会の正義とは何か』を引いて考えてみたい。この本の中で彼は功利主義、自由主義、共同体主義の三者の中で共同体の大きさに伴ってその手法を変化させ規範を生成させていくことが肝心であるととき「N-LUCモデル」を提唱した。本の中核はここでは省略するが、その中で言及されているのは共同体の大きさによって明確に価値基準を定めることは困難になるため、むやみに3つの手法(功利主義、自由主義、共同体主義)の中から一つに固執する必要なんてないということだ。インターネット掲示板の中で参加していた人数と社会を形成している人数では比較するまでもなく後者の方が多い。したがってインターネットの中で規範は形成されやすいが、他方で多様な人が共生する社会の中で規範を定めることは困難だ。その見えてこない規範を前にして、加藤智大のようにインターネット掲示板が自分の存在価値のようになったものはそれが正しいと思えてしまったのではないのだろうか。もちろん、どちらの本にもこのようなことは書いておらず僕の勝手な妄想の範囲からは出ていない。しかし、こういう考え方もありなのかもしれない。

 

さて、最後になるが僕は恥ずかしながらこのような背景の存在をこの本を読むまで正確には理解していなかった。何より、途中で章を飛ばすことなく最後まで読むことの重大さを見にしみて感じたところだ。本書はある側面においては事件そのものに対してただの情報としてのみ受け入れることによってその本質を明確に理解できない、短時間の報道で視聴者に事件を把握させようとしているメディアの報道に対しての批判でもあり、またそれに対して疑問の念すら抱かなかった視聴者に対しての批判でもあるだろう。これは2008年の事件であり当時の情報を得るためには新聞やテレビが主流だったと言えよう。しかし、現代の我々はSNSをはじめとしたいろいろな情報を仕入れることが簡単になっている。その多様的な情報をもとにして、我々は新しい世界を見つけていかなければならないのかもしれない。2016年には相模原市で障害者施設で連続殺傷事件が生じているが、それに対してSNSでは加害者を擁護する人も少なからず存在している。インターネット掲示板の生成する規範が現実社会と大きく異なる可能性があったのはそのコミュニティの構成人数の明確な差があったからであったが、SNSはどうだろうか。

 

2016年の相模原の事件の本質は、もしかしたらここから追うこともできるのかもしれない。本書を読んで膨大に膨れ上がった妄想はここまでにしておく。