city

2月ももうすぐ終了する。

 

今回はいくつかの本の感想から、一つの話をしてみたい。

そのきっかけとなるのはこの本である。

『承認をめぐる病』斎藤環著 日本評論社 2013

https://www.nippyo.co.jp/shop/book/6388.html

 

この本自体は論集の形式であり、内容が決して一筋のものではない。

しかし、単純に誰しもが考えている「承認」に関しての話が書かれていて、とても面白く読めた本でもあった。

 

人と知り合うことはいたって簡単なものなのに、人と仲良くなることは非常に簡単なことではない。そこに至るまでには大きな努力が必要だ。

少なくとも自分はそう感じている。

なのに信頼が崩壊するのは非常に、いともたやすく崩壊する。

信頼とは元来ものなのだろう。

そんな印象をも覚える本である。

 

人間関係を考えるときに避けて通れないのはそれが結局心の問題に関係しているということだろう。

それを考えるのは難しい。難しいからこそ人間の2000年以上に及ぶ哲学の歴史があるし、そこに文明があったはずだろう。

それができるということはそこに都市ができている。

社会ができる以上、文明ができて、そこには村も街も含んだ大きな意味での「都市」ができる。

それは歴史の保存としての「都市」である。

人間関係をめぐる人類の長い葛藤、悩みの結晶体として都市がここに存在している。

 

少し前の話で、授業を受けながらこの文章を読んだことがある。

 

小澤京子 「人工知能の都市表象」

http://10plus1.jp/monthly/2016/07/issue-03.php

 

内容としては「人工知能」と「都市」をもとにした文章が構築されているが、その解釈の方法にはじめは自分は戸惑った。

都市は記憶なのか?

でもその日の授業を受けているうちに少しずつ内容が理解でき、その中身に関しても僕は非常に同意できたものになった。

 

ここの文章では「人工知能」が主題になっているけれど、実際は人工知能が問題なのではない。

そこにあるのは人間関係の問題なのだろう。

そこには文明が2000年に及んで悩んできた哲学的な問題、これを重んじなくなった世の中があるのでないか。

 

少しそれるけど、信頼を得るためには長い時間が必要になる、これは僕が個人的に訪問した美術展「信頼と実績」においても同じテーマで飾られてたと思う。

 

渡邉朋也個展『信頼と実績』
http://www.cinra.net/event/20170107-watanabetomoya

 

少し前の展示会なのですでに終了しているものではあるが、このサイトの写真にあるようにこれが芸術かともいえるような作品が展示されている。

例えばそれはインスタント食品があったトレイをひたすら同じように陳列するようにである。

それでもそれは芸術作品と評価される。それを芸術作品であると評価するのも2000年に及んだ哲学の判断に基づいたものなのだろう。まさに「信頼」は「実績」で勝ち取る。

 

しかし、都市の人工知能化は人間関係の問題といってもどのような問題があるのだろう。

人工知能とは自ら行動し、論理的思考によって判断を下す。

それは確かに我々に効率性の上昇をもたらしたが。でも決してそれだけではない。

人間関係が都市であり、人間関係が決して論理的思考にとどまらないものであること、信頼によるものである。

それはつまり人間関係が決して理屈じゃないことを示しているのに、都市はどこに行くのだろう。

人工知能化が進んで人間の職業がなくなるという問題が多く示されているけれど、本当の問題はそこだけじゃない。僕たちの人間社会自体がもう崩壊し始めている。

哲学が万学の祖の地位を失った瞬間から、「信頼」を失い始めているように見えて仕方がない。