初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

買ったのはずいぶん前になったが、ここ最近でようやく落ち着いて読書できる機会ができたのでいくつか読書を行った。

その読書録を残しておく。
 
そのうちの一冊がこれ
 
https://www.amazon.co.jp/%E5%88%9D%E9%9F%B3%E3%83%9F%E3%82%AF%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E5%A4%89%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B-%E6%9F%B4%E9%82%A3%E5%85%B8/dp/4778313968
 
初音ミクはなぜ世界を変えたのか? 単行本 – 2014/4/3  柴那典 (著)
 

 

自分も最近VOCALOID的な何かを使って音楽しているし、ニコニコ動画のどこかしらDIY的、みんなで作り出す的なところにも興味を持っていたので少し触れてみたく思い読んでみた。
 
本の中身で「サード・サマーオブラブ」という言葉が繰り返し出てくるあたりこの言葉が重要なものになるとは思う。実際何回も出てきたし、確かこの本の帯にもあったような…同じ著者が別の本の特集にも出しているくらいだから、この言葉の重要さがうかがえる。
 
そしてその言葉の中身だが、なんでも音楽の転回点は20年に一度訪れるというものらしい。
 
今回がその中でも3回目の展開点だから、はじめに「サード」という言葉がついているほどだ。
 
はじめの展開点が1960年エレキギターの誕生によるロックの発生、二回目の展開点が1980年シンセサイザーやMIDIの発生によるハウス・テクノの発生とのこと、そしてこの三回目の展開こそ、2000年代のVOCALOIDであるらしい。
 
そういわれてみると確か、とすごく納得してしまった。
 
でも問題は2017年の今はどこに行くのかということだろう。本書によればVOCALOIDのピークは2011年前後、そこから勢いは少しずつ失われているらしい。
 
ここは自分の考えだが、昔のニコニコ動画にあったものは自分たちの「劣等感」ではないかと考えている。
 
かつてのニコニコ動画を作り上げた人々は何かメジャーの音楽を好きに思えない、だけれど自分の好きな音楽に対して親世代は決して納得してくれない。こんな状況が存在しているっていうことが本書の最後の章にて書かれていたと思う。
 
精神分析の芸術学に関してドラクーリデス博士は著書の中で芸術の創造は欲求の昇華であり、芸術の生まれ持った才能とその芸術家が持った状況が過酷であればあるほどより評価がなされる芸術作品が生まれるということを読んだことがある。
 
そう考えたらニコニコ動画があれほど大きく成長したのも、現代の、特に2000年代の中で、インターネット社会の中での若者は過酷な状況にあったのかもしれない。自分は最近いろいろな本を読んで閉塞感や絶望感がより高尚な想像力を生むという概念に非常に多く触れていると感じている。先のドラクーリデス博士はこの立場のようだ。だがもちろん芸術を生み出すものはそれだけではない。特に現代芸術などは数学的な、無意識を排した意識的な制作方法をとっているような気がする。
 
だがニコニコ動画は現代芸術じゃない。そこには「カウンターカルチャー」的な作品の攻撃性とか、無意識下での反発的態度が生じているような気もする。ロックの発生もそうであったが、カウンターカルチャーは従来のアカデミズムに対抗する態度を示す、つまりはあらかじめ決められているものに反抗する態度である。そこにはまるで親子の対立のような、世代間の構想がみられる。世代間での無意識表象が若者文化を形成し、その一つのくくりとして20年、そこで生じるものこそが「サマーオブラブ」なのかもしれない。本書ではロック誕生から実に3回目であるゆえに「サード」とついているが、別に音楽に縛らずに、芸術・文化全体で考えたらそれは長い歴史の中で何度も繰り返されているのだろう。
 
そして、この本の通りに進めば2000年代から受け継いだ2010年代はそれを受容し、変容させ、2020年代に新しい芸術の概念が生じる。世代が完全に入れ替わると考えると20年ごとというのも丁度のように思える。
 
初音ミクの最初の衝撃からもう10年がたとうとしている。新しい音楽の可能性はすぐそこに来ているのかもしれない。

 

買ったのはずいぶん前になったが、ここ最近でようやく落ち着いて読書できる機会ができたのでいくつか読書を行った。

その読書録を残しておく。
 
そのうちの一冊がこれ
 
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初音ミクはなぜ世界を変えたのか? 単行本 – 2014/4/3  柴那典 (著)
 

 

自分も最近VOCALOID的な何かを使って音楽しているし、ニコニコ動画のどこかしらDIY的、みんなで作り出す的なところにも興味を持っていたので少し触れてみたく思い読んでみた。
 
本の中身で「サード・サマーオブラブ」という言葉が繰り返し出てくるあたりこの言葉が重要なものになるとは思う。実際何回も出てきたし、確かこの本の帯にもあったような…同じ著者が別の本の特集にも出しているくらいだから、この言葉の重要さがうかがえる。
 
そしてその言葉の中身だが、なんでも音楽の転回点は20年に一度訪れるというものらしい。
 
今回がその中でも3回目の展開点だから、はじめに「サード」という言葉がついているほどだ。
 
はじめの展開点が1960年エレキギターの誕生によるロックの発生、二回目の展開点が1980年シンセサイザーやMIDIの発生によるハウス・テクノの発生とのこと、そしてこの三回目の展開こそ、2000年代のVOCALOIDであるらしい。
 
そういわれてみると確か、とすごく納得してしまった。
 
でも問題は2017年の今はどこに行くのかということだろう。本書によればVOCALOIDのピークは2011年前後、そこから勢いは少しずつ失われているらしい。
 
ここは自分の考えだが、昔のニコニコ動画にあったものは自分たちの「劣等感」ではないかと考えている。
 
かつてのニコニコ動画を作り上げた人々は何かメジャーの音楽を好きに思えない、だけれど自分の好きな音楽に対して親世代は決して納得してくれない。こんな状況が存在しているっていうことが本書の最後の章にて書かれていたと思う。
 
精神分析の芸術学に関してドラクーリデス博士は著書の中で芸術の創造は欲求の昇華であり、芸術の生まれ持った才能とその芸術家が持った状況が過酷であればあるほどより評価がなされる芸術作品が生まれるということを読んだことがある。
 
そう考えたらニコニコ動画があれほど大きく成長したのも、現代の、特に2000年代の中で、インターネット社会の中での若者は過酷な状況にあったのかもしれない。自分は最近いろいろな本を読んで閉塞感や絶望感がより高尚な想像力を生むという概念に非常に多く触れていると感じている。先のドラクーリデス博士はこの立場のようだ。だがもちろん芸術を生み出すものはそれだけではない。特に現代芸術などは数学的な、無意識を排した意識的な制作方法をとっているような気がする。
 
だがニコニコ動画は現代芸術じゃない。そこには「カウンターカルチャー」的な作品の攻撃性とか、無意識下での反発的態度が生じているような気もする。ロックの発生もそうであったが、カウンターカルチャーは従来のアカデミズムに対抗する態度を示す、つまりはあらかじめ決められているものに反抗する態度である。そこにはまるで親子の対立のような、世代間の構想がみられる。世代間での無意識表象が若者文化を形成し、その一つのくくりとして20年、そこで生じるものこそが「サマーオブラブ」なのかもしれない。本書ではロック誕生から実に3回目であるゆえに「サード」とついているが、別に音楽に縛らずに、芸術・文化全体で考えたらそれは長い歴史の中で何度も繰り返されているのだろう。
 
そして、この本の通りに進めば2000年代から受け継いだ2010年代はそれを受容し、変容させ、2020年代に新しい芸術の概念が生じる。世代が完全に入れ替わると考えると20年ごとというのも丁度のように思える。
 
初音ミクの最初の衝撃からもう10年がたとうとしている。新しい音楽の可能性はすぐそこに来ているのかもしれない。