2022.6.
2022年6月11日公開
私はいつも、楽曲を作ってからこの文章に何を書くかを考えている。この箇所に何が入るか、どれくらい長文を書き込むかについては、その都度でかなり異なっている気もする。長いときは非常に長いし、短いときはかなり短い。実装#2を公開した際には、約8,000字くらいの文字で構成されたポエトリーリーディングを前に力尽き、そもそも何も書けなかった。2021年7月の1か月間に書いていた日記をそのまま抜粋した曲を作り、映像にして公開してからもうすぐ一年にもなるのだが、あれを作った8月の日々は自身の創作の中でもかなり大変な時期だったように思える。それくらい、8月に投稿された私の一か月の生活記録は、私にとって大きな意味を持っていた。楽曲内に詰め込まれた事実以上に何も付け加えられなかったので、補足文もかなり簡素なものになった。
※2022年6月6日にBiliBiliにて中国翻訳版が公開されました。
https://bilibili.com/read/cv16949661
少年少女、前を向け――「自然の敵P」こと「じん」が2012年に発表した楽曲「チルドレンレコード」のサビで流れたこの言葉は、まだ高校生だった私にボーカロイド文化を教え、ワクワク感と希望をくれた 。本楽曲をテーマソングに据えた「カゲロウプロジェクト」は、8月15日を舞台として様々な楽曲やその他メディア展開がなされ、私はその登場から終わりまでをリアルタイムで経験した世代だった。音楽・小説・漫画・アニメといったメディアごとに少しずつ異なる物語や、複数の楽曲によって徐々に明らかとなる世界観、そしてストレートな言葉に、かつての私は強く衝撃を受けたのを記憶している。
ukiyojingu 『言語交錯』
2021年発売
on Bandcamp or Booth
1.言葉を扱う覚悟はあるか?
2.微細は失われたのか?
3.私たちは何者だろうか?
4.表記と意味は一致しうるか?
5.感情の表出に意味はあるのか?
6.都市の呼吸を知っているか?
7.崇高は盗作されるのか?
8._____________?
9.遺しておくべき意志はあるか?
10.それでも、溢れ出るのは感情だけだった。
Bandcamp:https://ukiyojingu.bandcamp.com/
Booth:
https://ukiyojingu.booth.pm/items/2856870
2022.5.
2022年5月16日発売(Boothオンライン販売)、寄稿しました!
『「合成音声音楽」の時代に向けて―私を探す「可不」の自己探索』というタイトルにてコラムを執筆させていただいております。CeVio AIの可不による「あたしってなんだっけ」という歌詞を起点に、徐々に登場してきた「合成音声音楽」という言葉の意味を考察してます。
自分の記事だけでなく多くのボカロリスナーが集まることによって、2021年の合成音声音楽シーンが総括的にまとめられております。
ご興味のある方はぜひ、お買い求めください。
Stripeless: https://stripeless.net/
2022年5月26日公開
2022年5月16日に『合成音声音楽の世界2021』が発表されました。私はちょうど1年前に『合成音声音楽の世界2020』が発表された際、それ以前の「ボーカロイド音楽の世界」から「合成音声音楽の世界」へとタイトルが変わったことが大きな印象であり、それについて短い文章もnoteで書いていた。『ボカロクリティーク』が休刊して以降、ボーカロイドシーンをまとめる役目をまさに担ってきた雑誌のタイトルが「合成音声音楽」に変わったことは、2017年から購読し続けていた私にとっては大きな印象があった。それから1年後、『合成音声音楽の世界2021』に今度は自分自身が記事を掲載させていただけることになるとは、それほど考えられていなかった。
2022年5月17日公開
「こんにちは、以前スマ電の契約で代理店を務めさせていただきましたものでございます」
昨日午前6時までいろいろと作業をしていた私は、昼頃にかかってきた電気会社からの電話で起こされた。昨日も電話がかかってきたこと、そしてそのとき私は図書館にいたから翌日に掛けなおしを希望したことを、声を聴いて即座にに思い出す。明日昼頃にかけなおしてくれといったのは、まぎれもなく私自身なので、起こされるのは仕方のないことだ。そう思いながら、私は電機会社からのモバイルルーターに関する宣伝販売の話、右から左に受け流していった。
2022.4.
電波に自身を乗せて流している私たちはすべからく、必ず他者に見てもらいたい、あるいは承認を得たいという感情を抱えている。私たちはそれを無視することはできない。だが、その欲望に過剰になればなるほど、私たちはいつの間にか数学的に管理される承認そのものによって、駆動させられてしまうことにもなる。本来の目的を喪失し、数学に支配されてしまった私たちのことを、この映像では「情報空間上のゾンビ」と呼んだ。私たちは自分自身を表現したいが、それを電波に乗せている以上、ある程度のでコードを受ける必要がある。つまり、私たちは半分だけ自分自身を表現し、電波に流しているのだが、情報空間上のゾンビたちは、他者に自分の表現を伝達するためにささげた半身が逆説的に、本来の自分を汚染することによって生まれてくる存在だろう。
niconico:
https://nico.ms/sm40364529
ボカロPがボカロに歌を歌わせることは、自身の声という唯一無二の要素を電波に捧げることによって、電波を通して互いが繋がる行為である。そうして私たちは、いろいろな方法を用いて互いに互いと繋がっていく。そして、その捧げた半身に自身の声を埋め込んで繋がっていく歌い手の営為は、電波に捧げた半身のさらに半分に自身を埋め込むような行為のように見える。(cf. https://nico.ms/sm40364529 )
私は私の声を、私が作り上げた曲の中に埋め込んでいる。そうすることによって、私は電波に流した半身をまた自分の中に取り込んでいる。その行為は互いが繋がり合うことをまるで拒絶してしまっているが、そうでもしなければ、私たちは電波による半身を取り戻すことはもはやできないかもしれない。この声は私だけの唯一無二であり、誰にも奪えない。
niconico:
https://nico.ms/sm40380690
2021年1月22日のライブから「私たちは何者だろうか?」を公開します。
本来はボカコレに合わせ「歌ってみた」を投稿する予定でしたが、今回はそもそも歌ってみたが「歌コレ」として独立して設置されていることに昨日気づきました。どうやら「演奏してみた」カテゴリはボカコレ日程内にあるようなので、昨年にライブハウスにて出演した曲のライブ映像をアップロードしようと思います。
niconico:
https://nico.ms/sm40373007
2022.3.
初音ミクが歌うとはどういうことか——誰も侵せない「私と君」の密接さについて
2022年3月9日公開
2022年3月1日、NHKの人気番組「プロフェッショナル——仕事の流儀」の特集に初音ミクが登場した。私のタイムライン上ではリアルタイムで数多くのツイートが飛び交い、自室にテレビがなく実家で見る予定だった私はただただネタバレを食らわないようにTwitterを閉じる。本番組は決して人間だけにフォーカスを当てる番組というわけでもなく、過去には動物などを特集する形でコンテンツがつくられたこともあったらしい。とはいえ、あくまで非生物である彼女に「仕事の矜持」を聞き出すことは、いたってナンセンスなことでもあるだろう。番組では初音ミク本人(?)でなく、初音ミクの創造と受容をめぐるネット文化圏の営為を、断片的に書きだしていく。
ソーシャルメディアの生存関係——Twitter、Instagram、TikTok
2022年3月31日公開
2020年8月10日にソーシャルメディアのTwitter上で生じた「#TwitterとTikTok合併許すな」というムーブメントは、TwitterユーザーがTikTokに対する印象を認識するにおいて、大いに参考になる出来事であった。当時のトランプ政権が主導となり展開された中国の企業ByteDance社が提供するソーシャルメディア「TikTok」の買収をめぐる騒動は、米国のMicrosoft社やTwitter社がその買収先として名乗りを上げ、大きな注目を集めた。この一連の動きの中で、日本国内のTwitterユーザーがTikTokの買収によって今日のTwitterの持つ空気感が損なわれるのではないということを危惧し、上記のハッシュタグを中心に多くの批判的意見が示されたという事件である。
2022年4月15日公開
2022年の4月、外はすっかり桜も散り、この時期特有の新入生ムーヴも徐々に落ち着きを見せ始めた。毎週の授業の容易に明け暮れている私にとっては、いまだに毎日を自転車操業のように生きているからか、新しいことを始められそうな余白をなかなか見つけられない。基本的な情報リテラシーを教える授業とはいえ、何から教えていいのか分からない状況を数日間さまよったのち、今のところは基本的なパソコンの使い方を教えるにとどまっている。新入生はどうしてもスマートフォンを扱うことに慣れてしまっていることもあって、パソコンの使い方を意外に知らない。インストールとダウンロードの概念を理解できなかったり、インストールしたアプリケーションは必ずデスクトップ上に表示されるようになると思い込んでいたり…
2022.1-2.
浄化されていく京都の街で——これからの「観光客」のための試論
2022年2月6日公開
23時。スポーツウェアに着替え、自室を出る。およそ1年前に市内に住み始めて以降、京都御所をランニングで一周することが私の日課だ。外出自粛要請が出ては消えてを繰り返すこの時代、深夜の京都はどこか静かである。23時といえば、市内を漏れなく走る京都市営バスの各種が最終便となって出発していく時間だ。今出川通りを東向きに走る私の隣を追い越していくのは、今日の最終便である錦林車庫行き203系統だった。最終便を表す赤いランプをともしたバスが、私を後ろから追い越していった。
私は今年、大学院を修了する。長年在籍してきたなかでそれ程大きな変化も感じないまま私は数年間の院生生活を過ごしてきたのだが、それでもなお、新型コロナウイルスに関係する最後の数年間は凄まじかった。人文学を専門とし、実験を一切しない院生だった自分にとっては研究上では深刻な影響もなく、オンライン会議ツールがあればさほど何も問題はなかったのだが、最後の授業がオンラインになったという事実に直面して、初めて自分がコロナ世代の学生という意識を持つことになった。
2021.12.
私たちの固有性を言葉で表現しようとすると、そこ必ず限界が生じてくる。言葉はより複雑になっていき、もはや自分でも何を考えているのかが分からなくなってしまう。或いは、どのような言葉も最終的にはそれさえジャンル分けされてしまい、そこから逸脱する行為さえもまた、ジャンル分けされてしまう。そうやって、私のあらゆる行動は固有性を持つことができない。思考することの限界を前に言葉が詰まる。
niconico:
https://nico.ms/sm39829243
LOCUSTレコメンド ②ukiyojingu「少年少女は前を向いたのか――10年目のカゲロウプロジェクトと「繋がり」の思想」
2021年12月5日公開、寄稿しました!
少年少女、前を向け――「自然の敵P」こと「じん」が2012年に発表した楽曲「チルドレンレコード」のサビで流れたこの言葉は、まだ高校生だった私にボーカロイド文化を教え、ワクワク感と希望をくれた 。本楽曲をテーマソングに据えた「カゲロウプロジェクト」は、8月15日を舞台として様々な楽曲やその他メディア展開がなされ、私はその登場から終わりまでをリアルタイムで経験した世代だった。
2021年12月19日公開
深夜2時の河原町通り沿いを走っていると、イチョウの黄色くなった葉が側道を埋め尽くしているのが目に入ってくる。その光景を見ながら、秋はおろか、夏さえもが既に遠く過去の光景のように思えてしまう。とはいえ、まだ数カ月しか経っていない今年の夏をまるで「過去の思い出」と言い切るのは、私にとって違和感でしかない。今年の夏は紛れもない過去ではあるのだが、まだ完全な過去ではない。そんな繊細な距離感とともに、私は夏を想起する。
2021.11.
2021年11月20日公開
大阪の地下で、ロングシートのなかに数人座っている光景を見ている。乗客のそれぞれがそれぞれの帰るべき場所を持っており、そんな行き先もバラバラな人々が全く意味もなく一つの車両の中に集合している。車内を構成している人々が少しずついなくなり、その分だけ乗車していき、気が付いたら乗客は入れ替わっている。
2021年11月6日公開
「私は一体、何を作っているのだろう」。自室のデスクトップPCにローカル上で保存されたフォルダに詰め込まれたcprファイルを眺めながら、まるでゴミのような音楽の断片たちを発掘しながらそんなことを考えていた。南向きに大きな窓がとられた自分の部屋には、机の下に収納してある自作パソコンにまで日光が侵入してくる。
2021年10月30日公開
「京都の川」は、もっと透き通っている印象だった。国立京都近代美術館のすぐ隣に流れる川を撮影しながらそう思った私だったが、そもそも鴨川と堀川以外の京都の川をあまり見ていないような気もする。京都に流れるおもな河川といえば、鴨川と堀川、そして桂川だろうか。京都市内の比較的中心に部屋を構えている私にとって、桂川が流れる嵐山区域は若干遠い。
note:
https://note.com/ukiyojingu/n/n5be4cfe5f5d7